日本テンプルヴァンが提言し、日本財団が実現に動いている火葬施設だ。

ただどうしても引っかかるのは、無理矢理に施設を増やす必要があるのかということ。葬祭はその時代ごとの状況や人々の死生観に応じてやり方が変化してきた。今の火葬は「焼き場」まで死者に伴い、極楽へ送り出すイメージだが、単に形式的にやっている場合も多いのではないか?豪華な大理石の焼き場で大人数と火葬をするような華美を廃し、ただ読経や別れの言葉と共に死後の世界へ送り出し、火葬は近親者だけ、あるいは近親者さえも火葬に付き添わずに送り出し迎え入れるだけというのでは儀式として寂しいのか?火葬は宗教的には事が重要な儀式ではなく、事後の単なる作業だと宗教的な見解があれば、火葬施設に関する問題の多くが解消する。
少し論点がずれるが、火葬に近親者が附きそうかどうかということは、どの時点で肉体から霊魂が分かれるかと言う宗教論でもあろう。寺院や教会は、葬儀を行い墓を売る前に、現実を常に説明し、心安らかに事を迎えられるようにして欲しい。
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